雪解け
前の部署にいた時、仕事帰りによく同僚や上司と飲みに行っていた中華料理店が静かに閉店しているのを見た。窓に「貸店舗」と言うプレートが貼られ、店のロゴが入った庇も取り外されていた。
「電話したんだけどさあ、何回かけても繋がらなかったんだよね」先週、飲みに行った上司の言葉が蘇る。「珍しいですね金曜日なのに。休みかなあ」呑気に答えた私の返事も蘇る。
通院帰り、大通りの交差点に立った私は横断歩道の向こうの、もはや空となった残骸のいたるところから、これまで私たちがあの店で過ごしてきた夜の数々が、日差しに焼かれて消えていくのを見たような気がした。ほとんど凍っていた生ビール、大皿の上に綺麗に丸く並べられてやってきた餃子、一口では食べられない大きさの唐揚げ。それらを男性ばりに頬張りながら、あれこれと、仕事にまつわる話を延々とし続けたこと。上司が死ぬほど嫌いだとのべつ幕無し機関銃のごとくしゃべり続けたこと。大型台風が上陸する前日にもここに来て、明日は会社行かなくていいでしょなんて笑っていたこと。その夜と夜と夜。無数の夜。
ウィズ、という単語が広まり始めた。私たちはもはや「アフター」を、目先にあるものとして認識することを諦めざるを得ない地点にいる。待てど、暮らせど、アフターは来ない。まして完全な形の、全てが復元されたアフターなど。それがもう永遠に手に入らないとわかったとき、ウィズという単語が広まり始めた。間を持たせるための、あるいは、腹を括ってこの生活を変えていくための、合言葉。何とも分からぬ、すでに感染して発症していないだけかもしれない、と思えば明日発症するかもしれない、その病はこの数ヶ月で私たちの「隣人」となった。私たちは常にウィズという状態にあり、ネイバーに見つめられている。じっと、静かに、音もなく。
ウィズとはどうしても相容れず、アフターを待つよりすべが無かったものたちが消えていく。SNSを日々流れてくる閉店のお知らせ。永遠に開くことのなくなったシャッター、残骸と化した伽藍堂。いつかは終わるはずだと、春が来たら戻れるはずだと、まるでクリスマスまでには帰れるだろうと夢を見ていた100年前の塹壕の中。塹壕から出られなかったものたち。私たちの夜を抱えて、追放されてしまったものたち。
手帳をめくる。5月のカレンダーにはひとつ、ふたつほどしか書き込みが入っていない。4月のカレンダーは、半ばを境にして書き込みが減っている。欠かさず書き込んできた映画のタイトルと上映時間が4月の半ばから消えて、それらが次に戻ってきたのが、6月3日の私の誕生日だった。
2月のカレンダーを開く。右上に赤いボールペンで「14」という数字が書き込まれている。これは2月の間に劇場で観た映画の数だ。土日のマスには2、3本のタイトルが毎週書き込まれていて、平日のマスにもいくつかのタイトルと、遅い時間が入り込んでいる。
無理をしていた。不安と共にあった。年度末決算に生活を絡め取られる直前の静けさと、じりじりと近づきつつあった病んだ空気の気配に、今日が最後だと、明日にはきっとこの平穏は消えてしまうと、毎日、思っていた。
半ば強行に帰省もした。終業の音楽が鳴り、慌ただしく机を片付けて、着替えを入れたカバンをロッカーから引っ張り出して駅へと走った。30分ほど遅れてやってきた特急列車にはほとんど乗客がおらず、空調も上手く効いていない車内でひとりブランケットにくるまり、震えながら2時間半を過ごした。この移動もいずれ見咎められるときが来るのだろう。指をさされて非難されることが起こってしまうのだろう。体から引かない寒さの中で、私は漠然とそう思っていた。
「2秒で感染するらしいで」「それは流石に盛りすぎでしょ」同僚の人とけらけら笑っていた。
「春が来て暖かくなったらインフルエンザもおさまるし、体力も戻ってくるからきっと大丈夫」と父が言った。
けれどそれからほどなくして、学校は門を閉めた。明日から子供のご飯どうしろっちゅうねん、同僚の人が天井を仰いだ。ライブも舞台も次々中止になった。従妹の卒業式も中止になった。春の柔らかい日差しがふと頰を温めるのに、この空気は病んでいるというのが信じられなかった。
映画館の先日付のチケットが買えなくなったとき、私は明日というものがわからなくなった。今まで疑ったこともなかったもの。今夜眠りについて8時間後に目を覚ませば必ずやってくると思っていたもの。だから今日の仕事はここまででいいと思えていたもの。私は突然、私の生活に掛かっていた梯子を外されたような気がした。昨日から今日へ、どうやってここへ渡ってきたかを思い出せない。今日から明日へ、どうやって、そこへ向かえばいいのかがわからない。
そもそも明日とは何だったのだろう?
今や、私の日々には今日しかない。無数の今日、昨日にも明日にも接続しない夥しい数の今日が足元に転がっている。拾い集めようとしても、今日と今日を繋げるための紐がどこにもない。拾っても拾っても、腕の隙間からこぼれ落ちていく。今日。今日は何をしていた? 昨日はどこにいた? 先週は誰と会っていた? その昨日は、先週は、この足元にあるどの日のこと? 全てが今日となってしまった世界で、私はひとり、足元から積み重なっていく今日の山に埋もれ、溺れていく。明日とは今日の次にやってくる今日のことに過ぎず、それは、未来でも何でもない。来て初めてわかる、それがただ今日であり、またひとつ増えただけのもの。明日というぼんやりとしたイメージの中にひとまず片付けておくことができていたあらゆることが、イメージの崩壊によって頭の上から降ってくる。まるでおもちゃ箱が頭の上でひっくり返されたかのように、暴力的に。
世界のネジが止まろうとしている。歪んだ音のオルゴールが今にも止まろうとしている。奇しくも時を同じくして、私は年度末決算の只中にいた。世界が今にも停止しようというときに、洪水のような時間の中にいた。洪水のような時間もまた、今日しかない時間だった。今日を、ただ今日を、とにかくこなして一日を終えること、そのためだけに生きていた。止まろうとしている世界の中で、私は、必死に息をしていた。山と積まれた仕事への恐怖、それを一瞬で無に帰される世界の気配、あらゆる数字はなすすべもなく増えていく。大気が音も色もなく病んでいく。
緊急事態宣言が出され、映画館も、書店も、百貨店も、美容院も、飲食店も、次々休業すると発表されたとき、私は安堵した。確かに、安堵していた。この世界は一度止まるのだと、ずっと誰かに言ってもらいたかったのだと気づいた。無理にネジを巻かなくていいと、誰かがそう言ってくれる日を待っていたのだ。
私は昨日を追いかけることをやめた。明日を探すこともやめた。ただ目が覚めてそこにある今日にだけ、私は存在していた。
いつかこの日々を振り返り、何を思うかも知れないと、まだ仕事のピークも越えないうちからその日その日の今日にしがみつくように、日記を書き留めた。体調が悪かったこと、桜が咲いたこと、朝の青空だけは代え難く美しかったこと、街がとても静かになったこと、桜が徐々に散っていったこと、足元に落ちた桜を拾ったこと、今が春であったこと。
けれどそれは、無意味とまでは言わないが私に何を残すこともなかった。振り返り、読み返し、私は何も思い出せない。今日しかなかった、今日にまみれ埋もれ溺れ、そして私は、どこにも足をつけずに漂っていた。
私は2月で一度凍った。凍りついた表皮の上で春が滑り、毎日を散っていった桜のようにどこかへ去ってしまった。凍りついた体が書き留めた、書き留めたつもりになっていた日々そして春は、氷の上を滑って今や文字のどこを探しても見つからない。私のどこかで氷が割れて、足を取られて落ちてしまった。世界のどこかで氷が割れて、誰にも看取られることなく凍死した春が無数に沈んでいる。無数に。
5月の終わり、目を覚ます力が残っていた街は再び明かりを灯し、映画館が開いた。
街を歩き、書店に行き、映画館に行くことで、私の氷は溶けつつある。これは凍りつく前の世界とは全く違う世界、もう二度と戻れない世界、それでも私はゆっくりと解け、見回している。ここを。
映画館で、先日付のチケットが買えるようになった。これは、明日というもの、そのものだ。私が一度失って、戻ってきたものだ。昨日から今日へ、どうやってここに来たかを私はもう考えない。今日から明日へ、どうやってそこへ向かおうかを私はもう心配しない。足元に散らかり、積み上がるに任せていた無数の今日は、知らぬ間に昨日となり、先週となり、明日になり、来週になった。私は今、水面から顔を出して息をしているのを感じる。
春は逝ってしまった。けれどやってきた初夏の暑さと雨に私の氷は解け、私は世界を見回している。ウィズが合言葉になった世界を。もはやネイバーとして受け入れざるを得なくなってしまった病を。その病が追放したものを。追放されたものを。私のかつての夜たちを。
会社の玄関に植わった紫陽花は6月をきっちりと咲き続け、日に焼けた写真のように褪せた。日毎強まりゆく日差しが彼らを焼いた。桜も病の及ばないところで咲き誇り、散った。紫陽花も病などまるで存在しないかのように6月に入った瞬間に開花し、彼らだけの時間を生き、雨に輝き、7月になれば太陽に焼かれて死ぬ。人間の日々が解体されるなか、花だけが確固とした時間を、何にも邪魔されずに自らの時間を刻んでいた。追放されるのは常に人間の営みだ。病に季節を侵す権利はない。
去年、日傘を壊したことを思い出す。晴雨兼用の新しい傘を買わなくてはと思いながら私のカバンにはまだ壊れた日傘が入ったままで、強い日差しにもそれを取り出すことをせず、私は両手で目の上に小さな庇を作る。すぐ横を歩いていく小学生の集団登校の邪魔にならないように横断歩道の端を歩き、顔を上げてまた目を細める。もうここは夏だ。
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