光が降る (2015)

1.

 高校2年のときに買ってもらった紫色のショルダーバッグに一泊分の着替えだけを詰めて、左手には手土産として適当に買ったバウムクーヘンを提げて、それだけの荷物で、特急を下りた。改札を抜けると弟が迎えに来ていて、ふたりで車に乗り込んだ。

「ジジイは元気なんか」

「元気じゃないからうちら来たんやろ」

 車の中にはふたり分の憂鬱がしずかに満ちていたけれど、日の落ちゆく町の向こう、絵のように聳える故郷の山々を見ることができて、そのことだけに、心が満たされていた。

 家に着く頃には世界は夜で、ただでさえ建物もなければ光もないこの町はほんとうに真っ暗になってしまっていた。

 居間へ入ってみれば、母が出かける支度をしているところだった。今からばあちゃんと交代するから。テレビの音も、台所の音もない空間はそのまま人の気配すらも消すほどの力があった。母がいて、父がいて、ふたりの姉弟までもが揃っていたのに、誰の気配もなかった。誰の命も外には出ていかなかったのだった。

 母が出て行き、残された父と姉弟で、録画された歌番組を見ていた。


 翌日、弟とふたりでコーヒーを飲みに出かけてから、父の運転で病院に向かった。
 風邪をひいて咳が止まらないままだった私は、ほんとうは見舞いになんて行ってはならなかったのだと思う。咳止めを飲み、マスクをして、病院の自動ドアをくぐってからは私はほとんど息を止めていた。喉が震えたら最後、ここを追い出されてしまうと思っていた。

 病室は、思ったほど真っ白な空間ではなかった。

 祖父は起きていた。
 ちょうどばあちゃんが湿布を取りにうち帰ったとこなん、と母が言った。父は窓際の椅子に座り、弟は腕組みをして立ったまま、私は壁にくっついていた簡易ベッドに腰を下ろした。
 母がベッドの手すりを掴んで、体をかがめて、私を指さした。

「お父さん。のぶと、ちいちゃん」

 祖父が、小さく頷いたのを見た。

 帰る前に、手を握ってやってと言われた。

 はじめに弟が歩み出た。

「じいちゃん、また来るよ」

 祖父は頷いた。

 私は、一度弟の反対側に歩み出ようとして、「そっち側じゃもう耳聞こえんから」と言われた。言われたとおりに、弟と入れ替わる。祖父が差し出していた手を、私は右手で握った。また右手だと思った。八歳で父方の祖父が死んだとき、最後にあの人の手を握ったときも右手だった。
 まっすぐ真下へ見下ろした祖父の姿に、心が引っ込んだのを感じた。何も食べられなくなった人間の形だった。尽きる手前の、最後の命だった。

 それでもその手は生きていた。

「また来るよ」

 私の声は小さすぎて、きっと、聞こえなかっただろう。だから、四本の指で甲を静かに叩いた。祖父は頷いた。私がここに居ることに対して、頷いてくれたのだと思った。これ以上のことを、どうしたらいいのかわからない私に対して、頷いてくれたのだと思ったのだ。

「よかったねえ。わざわざ来てもらったんよ。ありがとうやねえ、ほんとに」

 祖母の言葉に、祖父が頷いたのを見て、そんな人じゃなかったじゃないと思った。ありがとうとか、感謝とか、絶対に言わないし態度にも出さない人だったじゃないって。



 私はこのとき、「夏火」を書き上げて、修正している最中だった。

 だけど、祖父のあの手を握ったあの瞬間に、私はあの物語で何を書こうとしたのか、何を書いたのか、さっぱりわからなくなってしまった。
 天候不良で特急が遅れて、半日ほどをかけて大阪に戻ってきて、部屋でひとりコンビニで買ったおにぎりを無理矢理噛んでいると、信じられないくらいの涙が降った。

 私がこの先、明日もあさっても、来年も再来年も、文章を書き続けたとしても、「あの手」を言葉に落とし込むことはできない。一生、ずっと、できない。

 さっぱりわからなくなってしまった。書こうとしたことを、書きたかったことを、その意味と、くっついてくる価値を。



2.

 日帰りで伊勢に行った。

 さっぱりわからなくなってしまった文章への云々は、また別の出来事があって、あっさり片付いてしまっていた。「夏火」の入稿も終わっていた。

 外宮から内宮へ参詣して、ただ無心に手を合わせて、内宮の方でお守りを買った。
 きれいな青と緑の刺繍で作られたそれを見たとき、これを祖父にあげようと思った。そして淡い紫色のお守りはほんとうは自分用にと思っていたけれど、少し考えて、これは母へあげようと決めた。
 ふたつのお守りを手紙に入れて郵送した。数日後に母から連絡があり、「じいちゃんに渡してきたよ」というメッセージと、何故かあのお守りを額に乗せられている祖父の写真が送られてきた。
 あとから聞けば、あのお守りの形が、呼吸とか心拍数を計測する機械にそっくりだったから、ということらしかった。

 そして、その連絡があった日、私のもとに本になった「夏火」が届いた。
 祖父は誕生日を迎え、ぴったり80歳になった。

 翌々日、祖父は死んだ。
 土曜の朝に目が覚めると、母からの不在着信と留守電が、履歴の上部を埋めていた。




3.

 納棺。母からあの青と緑のお守りを差し出された。

「これ、どうする? あんた、持っとく?」

 私は首を振った。

「いいよ。一緒に入れてやったらいい」

 そうけ、母が頷いた。

「やったら、あんたの手で入れてあげられ」

 私はお守りを受け取り、ぎゅっと握った。

 死んだ人は、服を替えてやらなきゃならないし、体を拭いてやらなきゃならない。祖母が泣きながら、祖父の顔を拭いてあげていたけれど、たしかに、悲しいだろうけれど、でも、もしわたしがこの先誰かと結婚して、先立たれて、同じような場面で夫の顔を拭いてあげてくださいと言われたら、あんな風には泣けないだろうと思った。
 死んだ人は、やっぱり、別のものだから。
 花を渡され、顔を周りを飾ってあげてくださいと言われた。受け取った菊の花は、ぎょっとするほど瑞々しかった。

 じいちゃん、花似合わんねえ。この辺がいいかねえ。ばいばいじいちゃん。ばいばい。

 声。流れていく列。最後の別れにそっと祖父の頬に手を当てる人。私の手は震えていた。どうにか、隙間を見つけてそこに花を押し込んだ。素早く手を引っ込めた。悲しかったからじゃない、名残惜しかったわけでもない、ただ、恐ろしかったのだ。24になっても、命のない死んだ体が。悲しくても、つらくても。

 それから、各々の贈り物が詰め込まれていく。大好きだった煙草、マッチ、日本酒、お菓子。川を渡るためのお金。私は、握りしめていたお守りを、ちょうど両手のあたりに置いた。青と緑のきれいな色は、真っ白な布の上に、抜群に映えた。あとからその周りにも花を置かれて、少し目立たなくなってしまったけれど。

 棺の蓋が閉まって、男の人たちの手でゆっくりと運び出された。多少、どうしてもぐらついてしまう瞬間はあって、せっかく真ん中に置いたのに、あれじゃあいつかお守りはずり落ちてしまうなと私はぼんやり眺めていた。

 私の手には、さっきの菊の花の瑞々しさが、いつまでも残り続けていた。


 通夜の夜、夢を見た。

 私の前に、祖父の棺が、蓋が開いた状態で置かれていた。見ると、やっぱりあのお守りはずり落ちていて、私はそこに手を伸ばし、また祖父の両手のあたりに置き直したのだった。




4.

 葬式が終わり、いよいよ祖父が骨になるときがきた。

 火葬場の、香にくもる空気。におい。尼の掠れた声のお経。棺の小窓は開き、ほんとうの別れ。やっぱり、ジジイ花似合わないね。従妹が笑った。ちいも、のぶも、頑張るってよ。叔母が祖父に言った。覗き込むと、私が夢の中で置き直したお守りは、きちんと胸元の中央に据わっていた。大丈夫。私は声に出さずに言った。きっと、そのお守りがついててくれるから。
 このときには、もう、死んだ人の顔は恐ろしくはなかった。


 もっと前に行きなさいと、後ろから母に押された。
 ごうごうと、すでに音を立てている窯の中へ、祖父の棺は一気に、あっという間に入っていった。鉄の扉がゆっくりと閉まっていく間、係の人は、きれいな姿勢を崩さないまま、ずっとお辞儀をしていた。ずうっと、ずうっと。
 火葬場を出ると、雲が薄くなっていて、ところどころから青い空が見えていた。


 バスで、会食の席に向かう途中、私は静かに泣いていた。
 誰にも気づかれないくらいの静謐さをもって、流れる景色を眺めたまま、降るような涙を、拭うことなくそのままにしていた。

 晴れたねえ、と祖父の妹にあたる人が言った。
 うちの葬式の日は、どの人のときも晴れるんよねえ。




5.

 夜。家に帰ってきて、家族4人で夕飯を食べて、つらつらと話していた。

「まさかちいちゃんにあのお守りの写真送った日が亡くなる二日前になるとは思わんかったわ」と母が笑った。

「神様はいないってことが証明されたな」と父が言った。

「この状態でお願いされてもどうにもならねえよって思ったんじゃない」と弟が言った。


「でも、伊勢の神様は太陽の神様やから、晴れたでしょ、今日」

 私は言った。神様はいないと言った父は、すると納得したように「ああ、そういうことか」と言った。


 光が降る / 20150310



燃えるスカートの少女

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